【本の価値】

僕は読書がとても好きです!!
本というモノは、ある人(著者)が文字を使って文章という決められた記号とルールの基に第三者に自分の経験や直感から得た哲学を含めた情報を発信したモノです。そして、僕達はその本の中に含まれ、暗号の様になった著者の考えを紐解いて理解していく。受け取り側の準備さえ整っているならば、コンピューターゲームなんかでは体験し得る事の出来ないエキサイティングな体験が出来ると思います!
しかし、僕は、自分が「これはとても良い本だ!」と思った本であってもあまり人にはオススメしません。何故なら本というモノは僕が読んで「良い」と思った本でも受け取り側によっては紙屑同然となってしまう極めて相対的なモノだからです。
そう言ってしまうとこの世の全ての物に同じ事が言えると思うのです。音楽、絵、アート、料理、服、その他色々ありますが、それらの良し悪しを決めるのは全て受け取り側の問題であり、決してメディアではありません。
流行のアートや音楽を聴いたところで感性を磨いた気になったり、雑誌で紹介されているお店で料理を食べて食通になった気になったり、毎年の流行の服を着る事でオシャレになった気でいたり、本を読んだからって頭が良くなったなんて感じるのはきっと全ては単なる錯覚なんだと思います。読書の本質とは、あるトピックにおいて、自分自身の哲学と著者の哲学である「本の内容」を照らし合わす事によって生じる『納得』、『反発』或いは『共感』のいずれかにおける心の変化を楽しむモノであり、自分自身がそのトピックについて考察する事を必要とするだけの哲学を持ち合わせてなかったら、それは単なる文字という記号の規則性を持った羅列を見ただけでしかなく、本の価値も、単なる暇潰しの道具として消費されてしまうだけのモノとなってしまうのです。そして、それは読書だけに留まらず、全ての事に言える事だと思います。目を覚まし、本質を見る事が出来るのは自分自身の眼だけなのです。

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この記事へのコメント

2006年11月03日 00:38
お久しぶりです。情報の捉え方については僕も同意見です。
ただ、情報の発信も大事な要素だと思います。
情報を享受して、それで満足するのは
それこそ、ある意味『錯覚』ではないでしょうか?
例え受信側が本の本質を分かっていない人でも、
その感想を聞く事で何か得るものがあるかもしれません。
商売においても発信側がいくら満足しても、
受信側が満足しなければ売れないのと同じ事だと思います。
どのような『情報』を発信するか、
そこにその人の器量が表れると思います。

偉そうなコメント、失礼しました。
yoshi
2006年11月05日 04:55
何をおっしゃいますやら!!いつもコメント書いていただいてありがとうございます!とても参考になります。
確かに僕の発信する哲学やら情報は受けて側がある程度の知識や情報をもっていなければ成立しないモノかもしれませんし、それはよく指摘される部分でもあります。それはこれからの改善点でもあるかも知れませんが、逆に全体の底上げをする為の課題点なのかも知れません。スカルゲームの目的自体が、僕の哲学による「提案」に対する皆さんの「反応」を引き起こし、波を立てる事なので、「許容」「反発」「共感」のいずれかの感情を持っていただいた時点で割と満足してしまいよくメンバーに怒られますが・・・。
哲学の「迎合化」と「簡略化」を分けて考えられない僕はその部分でまだまだ勉強不足で、優しい人間になれていないのかもしれませんね。

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