【僕がシルバーアクセサリー造りを始めた理由】

僕は岐阜県でSKULLGAMEというシルバーアクセサリーのブランドを仲間4人で立ち上げて頑張っているyoshiといいます。宜しくお願いします!(今年の九月に岐阜市内にようやく一店舗目の取引先を持つ事が出来ました。)
キャリアとしては4年目にはなるのですが、何せ妻子持ちの身であって中々自由に動けない日々が続いています。家庭を持ちながら夢を追うというのは経済的にも社会的にも結構風当たりが強いのですが、やはり夢を追うという事にはそれを補っても余りある魅力があると思います。だから、決して周りが動かない事や周りの状況を言い訳にしていてはいけないし、僕の夢に賭けてくれている仲間に対してもそれに答えれるような、恥ずかしくない行動を取るべきなんだなと感じている毎日です。
このブログは、「俺も似た様な境遇だよ!」とか「私もシルバーアクセサリーの道で進んでいこうと思ってるよ!」など、そんな有志の方々と少しでもコミュニケーションが取れたら嬉しいなという考えのもと立ち上げました!僕もまだ全くの若輩者なのでお互いに夢に向かって青臭いことを語り合いながら共に進めるような関係が築けたらとても嬉しいと思っています!
もう少し僕の紹介をさせて頂きますと、僕がこの道に入ったきっかけは親父の死でした。
我が家は家業(親父と親父のお兄さんとで起こした会社ですが)で電気工事会社をやっていたので、将来の事はあまり考えず、ゆくゆくは親父の跡を継ぐんだろうなと漠然と思っていました。そして僕は誰よりも親父を尊敬していましたのでそれに対して何の疑問も持たず、高校を卒業したあと電気工事士になるため、社会人としての修行も含めて、親父のいる会社とは違う会社で二年間程働かさせてもらっていました。
その間、今のかみさんとも出会い、僕の実家での同棲も始めたので自分の将来はほぼ決定したように思っていました。しかしある事をきっかけに僕の人生は大きく揺れ動き始めました。
僕がその当時働かさせてもらっていた電気会社に入社して三年目の梅雨の季節、それは親父の癌の発覚でした。当時親父は52歳で正に働き盛りでしたので、ろくすっぽ定期検診にも行かず癌の発見が遅れてしまったのです。病名は食道癌。食道癌は癌の中でも自覚症状が現れるのがかなり遅いらしく、発見されたときには既に気管支に転移が見られる状況で、いわゆる末期状態でした。
目の前が真っ暗になるという比喩表現がありますが、正にあのときの僕はその状態でした。
いくら成人して、社会的に大人と呼ばれるようになったとしてもやはり心のどこかでは親父を頼っていましたし、何よりもこの世で最も尊敬する人物がこの世からいなくなるという事実に中々直面できませんでした。
僕は昔からとても負けず嫌いで、何としてでも親父の病気を治してみせると様々な民間療法や高価な漢方薬を試しましたが病気のほうは一向に回復の方向には進みませんでした。そして病気の発覚から九ヶ月、病院側からもう手の施し様がないと言われホスピスと言う緩和ケア病棟に移った頃です、かさんでくる入院費の問題や仕事疲れ、看病疲れから、ふと、もう仕事を辞めて親父のそばに一緒におりたいよともらした時に、「ごめんな、今は入院費や家族の生活費(親父、おばあちゃん、かみさん、僕、犬の四人と一匹暮らしでした)に問題があるから頑張ってくれ、でも、俺が死んだ後にはそれなりのまとまった金が入ってくる、それで暫くはゆっくりして、本当に自分がしたいと思うことを見つけてそれに一生懸命になりなさい、大切なのは俺の仕事を継ぐことではなく、先祖から脈々と繋げてきた意志を継ぎ、発展させることなんだよ。」。その言葉を受けて、僕は長年忘れていたことを思い出しました。僕は物心つく前から物造りをしていました、どんなに泣き叫んでいても紙とペンを与えればすぐに泣き止み何時間でも一人で遊んでいる。その子はごく自然に将来は絶対に物を造る人になりたいと夢見ていたはずなのに、いつしか常識に囚われるようになり自分の可能性を狭めていたことにも気づいていませんでした。親父はそのことに気付いていたのでしょう、本当は僕が進もうとしている方向に迷いがある事を。その後親父は意志を僕に繋げた達成心からなのか、まるで図ったかのようにこの世を去りました。最後まで他人のことを一番に考えられる男でした。親しい人の死は残された物に大きな傷と共に大きな意志も残していくんだなと感じました。
そして僕はその意志を発展させ、なるべく多くの人達に伝えるべく、僕の一番得意で好きな物造り、それもなるべくその対象となる相手の生活よりも精神に密接な媒体が良いと考えました。(生活必需品はそれを購入するのに明確な意志は必要無いけど、生活から離れれば離れるほどそれを購入する必然性が必要になる。要するに僕の作品を購入してくれる人になるべく僕からのメッセージを伝わりやすくしたかったのです。)
そして導き出されたのがシルバーアクセサリーでした。その後は、名古屋のシルバー職人さんの元で修行させて頂いた後、岐阜でアパレルのセレクトショップで働きながら(アパレル関係で人脈を作りたかったので)一人で制作活動をする内に、そのセレクトショップを介して仲間が増えていき、現在は4人のメンバーで構成されるSKULLGAMEとなりました。また、このSKULLGAMEが出来るまでにも様々なエピソードがあるのですがやたらと長くなってしなうので、また機会を頂ければ語らさせていただきます!
                                                   yoshi





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