【スカルゲームがブランドとして立ち上がるまで】

僕の作品はスターリンギアに強く影響を受けています。たまたまシルバーを始めた頃に読んでいたシルバー雑誌にでかでかとスターリンギアが特集されていたのを見て、それが心に深く刻み込まれてしまったのかもしれませんが、その当時にあのデザインはやはり革新的で、自らの心に革命が起こった事とも、もしかしたらリンクしていて、今でも僕の中での革命の象徴になっている気がします。というかあの動きのあるデザインにグッときたということなんですけどね。それ以来僕は作品に込めるテーマと、デザイン、方向性において「動きの在る」を中心において考えてきました。
そして元来の負けず嫌いから、必ずもっと細部にこだわった日本人特有の細かい部分のディティールを大切にする精神を詰め込んだ完成度の高い「動き」を表現しようと試行錯誤した結果あのデザインまで到達しました。僕は、デザインは哲学と同じで学ぶことが出来ない物だと考えています。只、哲学をすることの大切さ、デザインする事の大切さを学べるのみで、そこに終点は無いという意味で「到達」というとおかしな表現になってしまいますが、でも「これが今出来る精一杯のものです!」「皆さん一度観てみて下さい!」という自信が持てる所までこれた気がしたので今年満を持して仲間と共にSKULLGAMEを立ち上げたのですが、ここまで来るのにも様々な試練がありました。作品造りにおける試練もそうなのですが、やはり一番の試練は一緒にSKULLGAMEを立ち上げようとしていた親友の死でした。僕がシルバーアクセサリー造りを始めて、名古屋の職人さんの元で修行をさせて頂いてた頃、それまで少し疎遠になっていた中学校の頃からの親友とひょんな事から再び連絡を取り合うようになりました。その親友は中学、高校と同じ学校で(小学校の頃は名古屋に住んでいたので)それこそ毎日、家族よりも長い時間を過ごした仲でした。しかし社会人になるに連れお互いに同じ会社の人や、彼女を中心に付き合う様になり、いつしかあまり連絡も取らないような状況となっていました。それが親父の葬儀をきっかけに再び頻繁に付き合うようになったのですが、当時、彼も僕と同じく自分が進むべき道を見つけられずに悩んでいて、一緒に呑みに言ったりすると必ず、自分のやりたい事を見つけそれに向かって行動している事に対して羨ましい、自分も物造りは好きだしシルバー造りもやってみたいけど才能なんて無いと思うし君みたいにはなれないよ。と漏らしていました。それならと、お互い進むべき道が一緒かどうかは分からないけど、今自分自身がやってみたいと思うことならやるべきだし、何事もやる前から決めるべきじゃないよ、もし行き止まりを感じたならそこでまた他の道を探せば良いし、そこに向かった経験は決して無駄にはならないと思うよ!と彼をこの道に引きずり込んだ訳です。と言うか、やはり同じ目標を持つ仲間がいることは心強いし、お互いライバルとて良い刺激にもなると思ったのです。それから暫くは一緒に名古屋の職人さんの元で修行させて戴いていましたが、ある日僕が練習でスカルのリングをワックスで作っているとその職人さんが「何つくっとるんや?」と聞いたので「スカルのリングですけど・・・」と答えたら「スカルなんて造るんじゃねぇ、確かにスカルモチーフは市民権も得てて人気も高いモチーフだけど俺は嫌いなんや!」・・・・・・僕はその瞬間に、確かにこの人は技術はあるかもしれないけど、この人の元におったら絶対にデザイナーとしてだめになると確信して、次の日に菓子折りを置いてその人の元を後にしました。何かを造りあげるのには確かに技術を得ることは必要なのは分かってます、しかしそれよりも最も大切な「造りたいという感情」を他人に強要されてしまったら、僕がこの道を選んだ意味が無いと思ったのです。僕がスカルモチーフにこだわる理由はもしかしたらそこに在るのかもしれません。しかし、実際色々と教えていただいた恩を何一つ返せずじまいでそこを後にしてしまったことは、未だに思い出すと申し訳ない気持ちで一杯になります。いつか胸を張れるようなデザイナーになって「あなたのお陰でここまでこれました」と真っ直ぐな気持ちで感謝の気持ちを伝えたいとは思っています、それまではどの面下げても会いには行けませんけど・・・。とそんなこんなで結果、これはもう自己流でやっていこうと決め、実家の離れを工房に改造して(と言ってもワックス作業が出来る程度に机や工具を置いただけですど)親友と毎晩バイトが終わった後にそこに集合して作業をすると言うサイクルを決めたのです。お互いアパレル関係のバイトをやりながら、仕事が9時に終わるので大体10時頃に作業を開始して、朝方の3,4時頃に終了すると言う毎日を過ごしていました。その様な期間が一年ほど続き、次第にバイト先等でで知り合った人達の中からシルバーアクセサリーに興味のある子達がちらほらと工房に集まるようになり、それはいつしか一つのチームのようになっていました。もちろんお互い社会人な訳ですから決して強制するわけではなく好きなときに来て、造って、好きなときに帰る。その中からまた本気になれる奴がいたらそいつと仲間になれたらいいなぁなんて考えながらSKULLGAMEの原型は出来上がっていきました。そしてようやく自分でも発表したいと思えるだけの物が造れるようになってきていよいよブランドとして立ち上げたいねな
んて話が誰と無く持ち上がってきた頃でした。十二月のある深夜、親友が車の単独事故で亡くなってしまったのです。
それから暫くは何も出来ませんでした・・・どうしても納得が出来なかったのです。僕という後継者に意志を継がせることで何かをこの世に残せた親父とは違い、親友はまだ結婚すらもしていなかったし、もちろん子供もいません。残された彼の家族を見るとこれ以上無いほどに胸が痛くなり、何だか全てがどうでも良くなってしまったというか、身体の芯が無くなったような、自分の半身が無くなったような気分でした。そしてある時後輩に「俺の夢が彼を巻き込んでしまったような気がする。」と漏らした時に「それは彼に対して失礼なんじゃないですか?ヨシさんの夢に賭けて共に歩んできた訳だし、そこは彼も納得していますよ。問題はヨシさんがこれからどうするかですよ。」と言われました。そしてまた暫くして、親友の母親から一通の手紙が届きました。息子は何を残していったのでしょう?私は息子の人生に意義を感じたいのに、それは自分自身の悲しみでしかない。でも、もしヨシ君が息子と共に追いかけていた夢を実現することが出来たとしたなら、私はそこに意義を感じることが出来るかもしれません。是非息子の分まで頑張ってほしいです。と言った内容でした。僕はその時改めて自分の必要性、必然性を感じました。勿論、大前提として自分がこの道で進んでいきたいと言う意志が在り、しかしそれとはまた別に、親父、親友、親友のお母さん、その他大勢の気持ちがこの夢には託されているんだなという事に気が付いたのです。それ以降の僕にもう迷いは在りませんでした。まるで我が家の階段を昇り降りするかの様に、僕にとっては自分の夢に向かって進むことが当然事なんだと考えるようになりました。今でも時々自分を律する為に僕の夢に託してくれているみんなの事を考える時があります。

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