【ココロノチカラ】

例えば恋愛において、相手の心を推し量り「自分が傍にいない方がその人のためになる」と考えて身を引く事は果たして美徳であり、美しい話なのだろうか?と考えてしまいます。
僕は自分の哲学の中心にデカルトの「コギト・エルゴ・スム(我想う故に我存在す)」を理念として持っており、自分の心をこの世で唯一疑い様の無い物として位置付けしているので、ついつい自分勝手な考えに陥ってしまう事もあるのですが、その理念を基に考えるとすると自分を取り巻くこの世の全ての事象は自分の心が造り出しているモノであり、それをコントロールするのも全て自分だという事なのです。
現に、原子レベルのある対象のモノを電子顕微鏡で観測する場合、その観測者の心が影響し、観測者によって微妙に観測結果が変化してしまい、厳密にはその対象自体を観測する事は不可能なのだそうです。そして、この世界の全ての物は原子によって構築されています。ということは、この世界に定まった形を持ったものは何一つ無いという考え方も出来るのです。
故に、先ほどの美徳についての僕の考えですが、それは、自分の置かれた状況を言い訳にして自分の作り出した世界をコントロールする事から逃げているのだと思うのです。僕達は人間に生まれ、思想や表現の自由を得ましたがそれは同時に思想や表現の逃げ道、果ては生き方の逃げ道も同時に与えられてしまったのだと思います。
これは宗教じみた話でもオカルトチックな話でも何でも無く、理論的な考えの基で、この世界の形は自分自身が「こうであるべきだ!」と考える世界に変えて行けるのだという事です。

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