【議論について】

あまり重い事を書かないようにと思っていながら、ついついいつも書く事が思想めいた事になってしまうのですが、僕にとっての「議論」というモノの意義は、常に建設的であると言うことが前提でなければならないと考えています。従って、あるテーマについて僕が提案した仮説に対してある他の人間が別の仮説(勿論、この世界で確かな情報という定義に裏付けられた)を持ち出してディスカッションする。これが僕の望む「議論」のあり方なのです。それを、ある仮説に対して、別の仮説の用意も無く、情報も無い状態で否定に走る会話をしようとする相手に対しては「議論」の必要性は全く見出せません。
そのテーマを「議論」するにあたって情報量が足りないのなら、それを認めるのも一つの「議論」の形であると思います。
あるテーマである人間と「議論」を交わす場合、少なくともその相手と同等、若しくはそれ以上の情報が無ければ、それは既に交わすべき「議論」では無いし、相手にも失礼にあたる事なのだと思います。
「認識」出来ないモノや思想に対して「理念」無くして反論や否定をするくらいなら、いっその事サジを投げるほうが余程利口な態度だと僕は考えます。
そういう相手が「議論」を交わそうと持ちかけてきた時いつも僕は「うんざり」してしまうのです。
何故なら、「議論」は新しい可能性の発見、進展の為にするのであって、決して後退の為にするのでは無いからです。

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