【オナニーするなら金をくれ。あぁ、お腹痛い。】

”許容範囲が狭い人間は、どうしてあんなに自分の世界を守る事に必死になるのだろう?”というテーマについて、先日友達とディスカッションして大盛り上がりしていたyoshi the shok7n pink sadistic masochistですがいかがお過ごしでしょうか?

ちなみに、山本KID徳郁の背筋の減少が気になって夜も眠れません。

さて、キャパシティーの狭さは、自分が持つ世界観への依存度が高い事を示しているのでしょうか?

物事を図る時、人は必ず自分の物差しで計ろうとします。

ソレは当然の事ですが、一つ忘れてはならないのは、他人にも”自分とは違う物差しがある”という点です。

自分自身にどんなに素晴らしい世界があるか解りませんが、多くの”他人”にとってそんな事はどうでも良い一つの基準に過ぎないのです。

しかし、キャパシティーの狭い相手と対話していると、やたらと自分の世界を守るために他人の世界を傷つけ、又は自分色に染めようとしているのを感じます。

どうでも良い事に拘り、自分の中のルールを曲げられない。

これは非常に退屈なモノの考え方だと思いますし、何より自分自身の成長の妨げの大きな原因となるでしょう。

僕は、例えば日記の中に”少し攻撃的な事”を書いたとしたら、当然ソレに対する反感や反論、反発、拒否などを想定しますし、それから生み出される行動に対してもある程度の覚悟します。

それは、僕が”表現者”だからです。

”表現をする”という事は僕にとって例外なく自分自身が起因となるモノですし、また、そうである以上、僕はソレに対し責任を持ち、その範囲の中で表現すべきで、逆に、そうでないならば”表現”するべきでは無いと思います。

他人にコビを売る事や迎合する事を決して”表現”だとは僕は思いません。

しかし、ソレは決して思いやる心を失くす事ではなく、その逆で、思いやる心を発端として、時として厳しい言葉を”相手が理解しやすい様に”かけたりする事でお互いの向上を願う行動を起こす事が”表現者”の義務なのだと思うのです。

しかし、最近、”覚悟”もロクすっぽしないクセに、やたらと”表現者ぶる輩”が多く、表現を単なる”自分の売り込み”と、知ってか知らずか、大きな勘違いをしている人間がいる事を非常に嘆かわしく思います。

”お前のオナニーアピールはもう聞き飽きた!”と感じざるを得ません。

他人がどんな生き方をしたり、どんな考えをしようが、僕には全く興味も無いし、それこそ関係もありませんが、”表現する事”に対し敬意を払わない下醜な生き方だけはやたらと目に余る今日この頃です。


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